情熱のヴァイオリニスト鷲見恵理子が全身全霊で挑んだオール・クライスラー・プログラムのアルバム『Nostalgia』。
本作にかけた想いと、彼女のこれまで、そしてこれからについてお話を伺いました。
Q:今回の録音はオール・クライスラー・プログラムですが、一人の作曲家に絞って録音したいと当初から考えられていたのですか?
私にとりまして以前からフリッツ・クライスラー(1875-1962)の小品集の録音は一つの大きな夢であり課題でもありました。
録音はコロナ禍、身動きが難しい2021年の夏に行われました。
緊急事態宣言が発出された東京の繁華街から明かりが消えて行く風景を眺めながら、かつて滞在していた《時間がゆっくりと流れるウィーンの街》を思い出し、懐かしく《ノスタルジック》な気持ちが込み上げてきました。
コロナ禍だからこそウィーンの雰囲気、ウィーン人ならではのウィット、そしてユーモアに富みどこか楽天的とも思われるオーストリア的マインドが今の時代に必要だと思いました。
そこでウィーン出身のクライスラーによるヴァイオリンの名曲の数々をお届けし、《音楽》で気持ちを活気付けたいと思ったことが、この度のCD《Nostalgia(ノスタルジア)〜クライスラー:ヴァイオリン小品集》に込めた最大の思いであり、皆さまに届けたいメッセージです。
ウィーンでは戦時中であっても可能な限りコンサートを開いていたと聞きました。私は今回の困難に負けずに音楽活動を行うという決意も込めて、クライスラーのアルバム制作に情熱を注ぎました。長年温めてきたプログラムがコロナ禍で実現したことは奇遇にも思えます。
Q:クライスラーお馴染みの名曲「愛の喜び」「愛の悲しみ」「美しきロスマリン」をはじめ、モーツァルト、ドヴォルザーク、シューマン、グルックなどの名曲をクライスラーが編曲した作品も収録されています。今回の選曲のポイント、そしてCDの曲順についてのこだわりを教えてください。
まず、世界中から愛されるクライスラーの作品を数多く演奏してきた私の思い出の集大成として、このアルバムを通して《旅》をお届けしたいと思いました。
当録音ではクライスラーのオリジナルの作品、そして彼が世界各国を旅した際に出逢った、古代ルネサンスにはじまり、バロック、ロマン派の作曲家が残したメロディをアレンジした[In style of~]と呼ばれる作品、その二つの系統の曲目が収録されております。
クライスラーが世界で出会った作品をリメイクしたことにより、古い世代の、しかも忘れされていた作品が日の目を見て現代の聴衆を楽しませているという功績を、私は語らずにいられません。
時代・国籍の違う作曲家の作品に対するクライスラーのアレンジ力は改めて偉大であったと、録音を終えた今もなお考えさせられています。
クライスラーの写真から見てとれる雰囲気や数々のエピソードから、チャーミングで魅力的な人柄や人間力を感じます。これこそが聴き手を《別世界》に連れて行くことが成せる技なのだと思います。
《クライスラーを知る》ということは《オーストリアの歴史を知る》ことでもあります。神聖ローマ帝国時代から華麗で優美な国でしたが、戦争も経験しました。様々な歴史的背景を経てオーストリア・ハンガリー帝国時代は築かれました。
ウィーンに生まれたクライスラーの作品にはこの上なく豊かで贅沢な風合いと音楽的な《旨味》が一作品ずつ凝縮されております。モーツァルトやグルックに始まりオペレッタで風靡したシュトラウスを経て、クライスラーはいわばオーストリア音楽界において最後の《古き良き時代の作曲家》に位置付けられ、オーストリア文化の集大成であると言っても過言では無いと思います。
当アルバムにはモーツァルト、ベートーヴェン、グルック、シューマン、ドヴォルザークという、オーストリア-ドイツ-チェコスロバキアの伝統的作品による、揺るぎない軸を形成し、さらにドナウ川やライン川周辺の雰囲気を醸し出す独特の愁いを感じさせます。
シューマンの「ロマンス」からは《青春時代に誰もが抱くであろう憂い》、またドヴォルザークの「スラヴ舞曲」、「我が母の教え給いし歌」からは《民族の心の叫びさえ聞こえてきそうな中央ヨーロッパの歌と踊り》が描かれており、このアルバムのテーマでもある《ノスタルジック》を表現されています。
その他、イタリア-フランス-中国そしてタンゴやジプシーへのオマージュなど、バラエティーに富んだ色彩を加えました。
「愛の喜び」、「愛の悲しみ」そして「美しいロスマリン」の魅力は現在も多くの人々を惹き付けます。さらに私としては「ルイ13世の歌とパヴァーヌ」や良き時代のクラブ音楽を彷彿とさせる「ジプシーの女」は、よりフラットに聴かれる機会が増え、聴衆を魅了することを願っております。
CDの曲順は今回のレコーディング・チームとともに話し合いました。特に私が気に入っているのは、1曲目の「テンポ・ディ・メヌエット」から2曲目の「真夜中の鐘」へのしっとりとした流れです。まさに《別世界》に誘われます。このアルバムをお聴きいただける皆様には《人生の旅のサウンドトラック》というコンセプトでそれぞれの物語を生み出していただけましたら幸いです。
Q:鷲見三郎先生、そしてヴァイオリニストご両親という、音楽に溢れたご家庭で生まれ育ち、またご自身はジュリアード音楽院で学ばれ、イタリアやウィーンなど海外で過ごされるなど本場でのご経験も豊富でいらっしゃいますが、鷲見さんご自身の演奏家としての原点のような出来事はありますか?
三世代続けてヴァイオリンを演奏する家系に生まれ、直系だけではなく親戚も全員ヴァイオリニストでした。そのため家の敷地内ではみんなが同時にレッスンを行っておりましたので、沢山の曲が同時に聴こえてくる環境にて育ちました(ヴィヴァルディ、モーツァルト、チャイコフスキー、プロコフィエフが同時に流れているといった感じです(笑))。
祖父は私が生まれてくることを心待ちにしており、生後7日目には分数ヴァイオリンをベビーベッドに持ってきて、どのような手の形をしているのかを見にきたそうです。その様子を見ていた母はゾッとしたそうです(笑)。祖父が「お母さんが教えなさい」とレッスンを母に託し、成長を楽しみにしていたと聞きます。
『いずみ会』という祖父が立ち上げたヴァイオリン発表会で私が演奏した時、祖父は大変満足していたようです。また、祖父を尋ねてこられたルクセンブルグ現大公御夫妻御隣席のもと演奏したことも貴重な経験でした。祖父は、この2つの演奏を聴いたとき、《演奏家として生きる為の素質がある》と思ってくれたようで、このことが今日に至るまで私を導いてくれたと感じております。
祖父のもとにはレオニード・コーガン氏(1924-1982)やジョゼフ・ギンゴールド氏(1905-1995)などの巨匠や海外の演奏家が我が家に来てくれました。
そこでレッスンをされている様子を見て学ぶことができたのは私の宝です。そのような経験から海外の演奏家の演奏スタイルに興味を持ち、憧れるようになりました。
中学生になり大きな転機が訪れました。ジュリアード音楽院出身の演奏家と旧ソ連時代の演奏家の来日コンサートを同じ時期に聴く機会があり、共に圧巻な演奏を披露して下さいました。
その時私は、スケールが大きく自由な演奏スタイルを打ち出すジュリアード音楽院出身の演奏家に非常に感銘を受け、その日から「何があってもどんな事があっても必ずジュリアード音楽院に留学する!」と毎日言うようなりました。言い出したら後に引かない私の性格を知っている母の協力のもと父を説得し、ジュリアード音楽院への留学を果たしました。
音楽院内では祖父と交流のあったジョセフ・フックス氏(1899-1997)も教鞭をとっていらっしゃいましたが、私は多くの憧れの演奏家を輩出されたドロシー・ディレイ先生(1917-2002)のもとで学ぶことにしました。作曲家の意志を尊重しつつも自分の揺るぎ無い個性と共に音楽の表現が出来る演奏家になりたいという強い思いのもと、先生に師事することを決めました。
その後も様々な国やあらゆる世代の先生から学ぶ機会がありましたが、それらは全て祖父の導きだと思っております。
ジュリアード留学時代には西洋音楽という観点から西洋文化及び歴史について、さらには曲に対する構成やアナライズ法も学びました。
アメリカ留学後ヨーロッパに渡り、その国の音楽スタイルをより追求し掘り下げるべくあらゆる土地を訪れました。ルッジェーロ・リッチ氏(1918-2012)やヨゼフ・スーク氏(1929-2011)等のヨーロッパの往年の巨匠たちに私の演奏を聴いていただく機会をいただいたことは今となっては本当にかけがえのない《宝物の時間》です。
今回収録したグルックの「妖精の踊り」をスーク氏の演奏を間近で聴き、学べた事は演奏面においての《伝統的な足跡を継承出来た》と私なりに感じております。
またウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターのライナー・ホーネック氏を訪れた際、ムジークフェラインを見渡しながら「ブラームスはこのホールの響きを熟知した上であの偉大な作品を書き遺したんだ」とおっしゃったのが印象的でした。
その瞬間から「偉大な作曲家がかつていた場所に来ることによって、今もなお続いている音楽の響きを知ることが出来るのだ!」と体感した瞬間から、今までの学びが全てクリアーになり、演奏家としての心の軸・自信そして拠り所ができました。
Q:今後さらに挑戦していきたいことや、計画などありますか?
欧米でのCDショップでは歴史的演奏家達のディスクに[Legend]というラベルが貼られています。私はこの[Legend]のラベルを知ってから、私なりの[Legend]アルバムを作成したいというのが最大の夢であり課題として今日を迎えております。
今回録音したアルバム《Nostalgia》は、芸術や音楽の造詣が深い華道家の假屋崎省吾先生から[クライスラーの魅了が最大限に、歴史に残る名演奏]というお言葉を賜りました。
そしてこのアルバムがレコード芸術誌の[特選盤]に選出されましたことは、私にとりましてこの上なく名誉であり、これまでの歩みへの達成感を与えていただいた瞬間でした。
演奏家にとりましてはやはり観客の方々から頂きます拍手そして喝采が一番の宝物です。初めてアメリカでの華やかな歓声交じりのスタンディング・オベーションを経験した際は、エンターテイメントの国らしいアメリカならでの反応であり醍醐味を味わいました。
それから時を経て、日本やヨーロッパの観客が立ち上がり、心からの想いがじんわり響き渡る様な違う質のオベーションも演奏家として心の支えになっております。
今後もこうした世界中の観客の方々に見守られながら築き上げた《想い出のレパートリー》をキングインターナショナルから発表させていただくのが私の一番の希望であり変わらぬ最大の挑戦です!
商品情報
『Nostalgia』
https://www.kinginternational.co.jp/genre/kkc-086/