【連載】ヴィオラ弾きのドイツ便り [Season 1 / Grüße aus Deutschland]
第2回:ハイデルベルク交響楽団
連載2回目となる今回はハイデルベルク交響楽団(Heidelberger Sinfoniker)について書かせてもらいます。この連載は、このオーケストラのハイドン交響曲全集シリーズの日本語解説を書かせていただいた事がきっかけとなり始めさせてもらったもので、その第25、26集の解説書にもこの団体の事について詳しく書かせてもらっています。今回はより多くの方にハイデルベルク交響楽団の事を知ってもらえる事を願って、改めて少し違う視点から書かせてもらいます。
ちなみにハイデルベルクには市立劇場があり、そこのオーケストラは市立のハイデルベルク・フィルハーモニー管弦楽団(Philharmonisches Orchester Heidelberg)と表記される別団体です。こちらも個人的に長くお世話になっているオーケストラで、今でも時々オペラの公演を弾きに行っています。
(2022年3月のヴィースロッホでの第27&28集の録音風景)
ハイデルベルク交響楽団は1993年に指揮者のトーマス・ファイと、その仲間であった若い古楽器、ピリオド奏法に興味を抱く音楽家達によって、前身となるシュリアバッハ室内管弦楽団(Schlierbacher Kammerorchester)をもとに結成されました。ハイデルベルク交響楽団の初期の録音には、例えばハイドンの交響曲全集シリーズ第2集などの、この前身である団体の名前がクレジットされているものがありますが、当時はしばらくの間この2つの名称を使い分けて活動していたものと思われます。
モダン楽器のオーケストラですが、基本的に金管楽器(とティンパニ)は演奏する曲の年代に合った楽器を使って演奏します。弦楽器は弦や弓の種類の指定はありませんが、ヴィブラートを極力排した奏法が基本的なスタイルとなります。また、ここで演奏する奏者の多くが古楽器も演奏する事もあり、自然と古楽器オケの様な響きの作り方になっていきます。この団体は常設ではなく、多くて年間10回ほどのプロジェクトの活動をする団体です。しかしある程度の音楽的な方向性、音楽語法を共有できる奏者が集まっている為、毎回はじめから響きがまとまりやすいのは良いところと言えるでしょう。
レパートリーは基本的に古典派から19世紀中頃までの作品ですが、ニューイヤーコンサートなどでは後期ロマン派、20世紀作品も取り上げる事もあります。そしてこの団体の特徴としては、録音が非常に多い事を挙げる事ができます。進行中のハイドン交響曲全集以外に、メンデルスゾーン交響曲全集(弦楽の為の交響曲も含む)、ベートーヴェンの交響曲など現在までに50枚以上のCDがリリースされています。また主催者の関係でマンハイム・モーツァルト管弦楽団という名称で演奏したものもあり、モーツァルトの交響曲、ホルン協奏曲、サリエリの序曲集などが発売されています。中でもサリエリ序曲集の第1集は、2011年米グラミー賞最優秀オーケストラ・パフォーマンス部門にノミネートされました。
私がこの団体に初めて参加したのは2005年の夏でした。その直前に「弾きに来てくれる前に一度聞いてみる?」と招待券を頂き聴きに行ったベートーヴェン、ハイドン、サリエリ、モーツァルトの演奏会は今でも忘れる事はありません。透明感がありコントラストの大きな立体的な響きがまるで古楽器オケの様に響き、「再現」という様な理屈っぽさは皆無で愉しく聴かせる。指揮者トーマス・ファイの強烈なエネルギーでオーケストラが目一杯形響き、喜怒哀楽豊かな表情を見せ、正に手に汗を握る素晴らしい演奏でした。
実際に演奏してみると、指揮者のトーマスが常に全力投球の音楽を要求してくるのを強く感じました。時には極端に速いテンポや強烈なアクセントなど、正直冗談ではないかと笑ってしまう位の表現すらあるのですが、それを真剣に演奏すると今まで聞いた事のない新鮮な音楽体験になるのです。それでも時にはやりすぎのと思う事もありましたが、そのぎりぎりのところで表現する事によって生まれ、それだからこそ聞き手に伝わる音楽は、本当にドラマに満ちた素晴らしいものでした。
ちょうど私がハイデルベルク交響楽団に初めて参加した時期に録音されていたのが、メンデルスゾーンの交響曲全集、マンハイム・モーツアルト管弦楽団のサリエリの序曲集でした。メンデルスゾーンは、今考えればより歴史検証的な面で踏み込んだ解釈が出来ると思いますが、それでも交響曲第1番、第5番"宗教改革"など、当時のトーマス・ファイとハイデルベルク交響楽団の特徴を十二分に感じる事のできる演奏です。またグラミー賞にノミネートされたサリエリの序曲集第1集は、作品自体はあまり知られていないこの作曲家の知られざる魅力を伝える愉しくドラマティックな演奏で、個人的に非常に気に入っているCDの一つです。
そして私達にとって忘れる事できない素晴らしい体験として、2007年9月の来日公演を挙げないわけにはいきません。当時の大きなスポンサーであったハイデルベルクの印刷会社の東京での大きなイベントの為に、オーケストラの日本行きが正式に決まったのがその年の春頃。その時点で半年程しか時間がなかったにも関わらず、たった1回ではありましたが9月21日に武蔵野市民文化会館小ホールで公開の演奏会を開催できたのは奇跡的な事だったのかもしれません。正に武蔵野文化事業団をはじめとした、日本の多くの関係者のご尽力のおかげでした。その武蔵野での公演は、トーマスとこの団体の最高の演奏会の一つだったと言えるでしょう。
2014年秋のトーマス・ファイの不慮の事故による大怪我、そして後遺症で指揮活動ができなくなった事は、私達にとって正に危機的な状況でした。しかしその時に、トーマス・ツェートマイアー、マーティン・シュタットフェルト、ジュリアーノ・カルミニョーラ、ベルント・グレムザー、ラインハルト・ゲーベルなど、それまでに共演をしたり団員と個人的に繋がりのあった多くの音楽家が演奏会に出演してくれた事は大きな助けとなりました。
その状況の中、数回の共演を経て2020年からシェフを立場を引き継いだのがヨハネス・クルンプです。彼との現段階で活動の重点は、トーマスが完成できなかったハイドンの交響曲全集の完成です。コロナ禍、ロックダウン中の2020年7月に行われた第25&26集の録音を皮切りに、2023年1月時点で第33集までの収録が完了しています。そして2023年3月と5月の2回のセッションで全35集の録音が終了する予定となっています。
ハイデルベルク交響楽団にとってハイドンは、録音だけでなく演奏会の最も重要なレパートリーとです。それをより前面に打ち出すべく2021年から10月に、"EXPLORE HAYDN"(ハイドンを探求する)という小さなフェスティヴァルをハイデルベルクで開催しています。通常の演奏会の他、有名な俳優によるナレーションが入る演奏会、ファミリーコンサート、新録音のリリースイベント、その新しい録音を使ったDJイベント、聴衆参加のディスカッションなど、小規模ではありますが多方面に渡る催し物のあるフェスティヴァルで、今年2023年も10月上旬に開催予定です。
新しいシェフにヨハネス・クルンプを迎えてからの時期は、コロナの規制などの関係もあり小さな編成での演奏が多く、結果的にハイドンの録音、演奏に集中して取り組む時期となりました。そして徐々に通常の状況に戻って行く中、2021年秋からヨハネスの指揮で年1回のペースでブラームスの交響曲を取り上げています。2021年はカロリン・ヴィットマンをソロに迎えたシューマンのヴァイオリン協奏曲との組み合わせで第1番、先日2022年11月の演奏会ではラグナ・シルマーのソロのクララ・シューマンのピアノ協奏曲との組み合わせで第2番を演奏しました。
ブラームスの交響曲の演奏会はこの団体としては大きな編成で、弦楽器が上から8-8-6-4-3という規模での演奏でした。これはブラームスが当時望んだ(彼に編成の大きさの決定権があった時にはそう希望した)と言われる編成とほぼ同規模でとなります。もちろんブラームスにおいてもピリオド解釈というこの団体の方向性は変わりませんし、指揮のヨハネスが目指す音楽が正に同じ方向にあります。
例えば先日の2番の時はナチュラル・トランペット、ホルンは19世紀後半、20世紀初頭のB管のシングルのホルンとウィンナホルンを使用しました。弦楽器は、レガートの表現の延長線上としてのポルタメント、短い音を弓の上半分で飛ばさないデターシュ奏法、もちろん音程が揺れて聞こえる大きなヴィブラートはほとんどかけない(基本的に多くの部分がノン・ヴィブラート)などといった19世紀ならではの奏法を取り入れての演奏で、弾き慣れた曲を新たな奏法で挑むのは非常に新鮮なものがありました。
現時点では年1回だけの後期ロマン派のプロジェクトなので、まだ手探りの事は多くあります。しかしフェルディナント・ダヴィットやヨアヒムのヴァイオリン教本、フリッツ・シュタインバッハ(ハンス・フォン・ビューローの後任のマイニンゲン宮廷楽団の音楽監督)の書き残した本、そして19世紀の演奏習慣を垣間見る事のできる20世紀初頭の歴史的録音など、様々な後期ロマン派の時代の演奏解釈に関する資料なども参照しながらの演奏は、古典派古楽器演奏の延長線上の解釈とノン・ヴィブラートというスタイルでの演奏からは、遥かに大きく踏み込んだ面白さを感じる事ができました。この方向性での今後の活動も非常に楽しみです。
(シュヴェッツィンゲン城のロココ劇場でのニューイヤーコンサート(2023.1.2))
今年2023年はハイデルベルク交響楽団にとってハイドン交響曲全集の完成という非常に大切な年です。因みに3月には日本でも第27集が発売になります。また将来的には、2007年以来2回目の来日公演もこの団体として実現させたいという願いもあります。コロナ、情勢不安の影響、またハイデルベルクの通常は年に3、4回の大きな編成での演奏会を開催する演奏会場(Stadthalle Heidelberg)が長期に渡って改修工事中であるなど色々と大変な事もありますが、その状況下だからこそ様々な工夫、特色を出した活動が求められているはずです。その創意工夫が聴衆の皆様にとってより興味深い活動、より良い演奏につながる事を目指して活動していきたいと思っています。その成果を、日本の皆様にも引き続き録音という形でお届けできる事を願っています。
矢崎裕一(ヴィオラ)Yuichi Yazaki
東京音楽大学卒業後に渡独。マンハイム音楽大学修了。在学中よりハイデルベルク市立劇場管、後にマンハイム国民劇場管、ハーゲン市立劇場管に所属。
2005年からハイデルベルク交響楽団の団員としても活動している。現在はマンハイム国民劇場、シュトゥットガルト州立歌劇場、カールスルーエ州立劇場などに客演する傍ら、古楽器奏者としてコンチェルト・ケルン、ダス・ノイエ・オーケストラ、ラルパ・フェスタンテ、マイン・バロックオーケストラ、ノイマイヤー・コンソートなどでバロックから後期ロマン派に至るピリオド楽器演奏に取り組んでいる。シュヴェッツィンゲン音楽祭にてマンハイム楽派時代の楽器による室内楽演奏会でミドリ・ザイラーと共演。
その他にアマチュアオーケストラの指揮、指導者としても活動中。これまでにヴィオラを河合訓子、小林秀子、デトレフ・グロース、室内楽をスザンナ・ラーベンシュラーク、古楽演奏をミドリ・ザイラー、ウェルナー・ザラーの各氏に師事。
ドイツ・マンハイム在住。
Twitterアカウント→@luigiyazaki