【連載】ヴィオラ弾きのドイツ便り [Season 2 / Deutsche Orchesterlandschaft]
番外編:マイン・バロックオーケストラ・フランクフルトのアーベル後期交響曲集
去年(2022年)の秋に参加したマイン・バロックオーケストラ・フランクフルトのプロジェクトで録音したアーベルの後期交響曲集(ACCENT)が日本でも発売されました。
そこで今回はこのCDについて書かせてもらいます。
はじめに、このマイン・バロックオーケストラ・フランクフルト(Main-Barockorchester Frankfurt)の紹介を少しさせてもらいます。このバロック・オーケストラは私も度々参加させてもらっている団体の一つで、毎年2・3回のフランクフルトでの自主企画の演奏会シリーズやレコーディングのプロジェクトのほか、年間を通して定期的に南ドイツを中心に教会合唱団との演奏会を行なっています。レパートリーは17、18世紀の作品が中心ですが最近では19世紀ロマン派の取り上げる事もあり、この10月にはメンデルスゾーンの"聖パウロ"を演奏する事になっています。今回の録音にクレジットされているマーティン・ヨップ(Martin Jopp)がこの団体のリーダーで、今回の録音でも彼はコンサートマスター、協奏交響曲でのソロを担当し弾き振りをしています。使用楽器は1650年製のヤコブ・シュタイナー。彼はその他にもオルフェオ・バロックオーケストラ、ベルニウスのホーフカペレ・シュトゥットガルトなど多くの団体でもコンサートマスターを務めています。
ちなみに録音は今回の"ACCENT"レーベルのほかに、"AEOLUS"レーベルなどから10枚ほどのCDをリリースしていて、バロックから古典派にかけての知らざれる作曲家、ファッシュ、ヘルテル、モルター、ニョッキ、グラウン、グラウプナーなどを取り上げてきています。
マイン・バロックオーケストラのリーダー、マーティン・ヨップと通奏低音グループ
さて今回の録音で取り上げたカール・フリードリッヒ・アベール(1723〜1787)は、J.S.バッハが率いた宮廷楽団の首席チェロ、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者の息子としてケーテンに生まれました。ヴィオラ・ダ・ガンバの名手としてバッハの推薦でドレスデンの宮廷楽団に10年間在籍した後にロンドンに渡り華々しく活躍し、またこの楽器の為に貴重な作品を残した事で知られていますが、作曲家としてのアーベルは知られた存在とは言い難いと言えるでしょう。しかし彼の交響曲(Op.7-6)をモーツァルトが写譜したものが長らくモーツァルトの交響曲第3番として旧全集に掲載されていた様に、魅力的な作品を残した古典派の作曲家であるのです。
今回の録音はアーベルの残した(現存する)46曲の交響曲の中で生前に出版されなかった最後の6曲と思われる作品から、ヴァイオリン、チェロ、オーボエのソロを伴う協奏交響曲を含めた5曲を取り上げました。ちなみに今回の収録曲のうち協奏交響曲以外の4曲は世界初録音となります。この最後の6曲はアーベルの最後のドイツ訪問(1782年)の際に持って行き、後のフリードリヒ・ヴィルヘルム2世(当時は王位継承者)に献呈されたものです。その為プロイセン交響曲集などと呼ばれる事もありますが、曲集としてまとめて作曲された作品ではないと考えられています。
アーベルはガンバ奏者、作曲家としてだけではなく、ロンドンで初めてのコンサート・シリーズを開催した事で後世に名を残しています。これは「バッハ=アーベル・コンサート」と呼ばれ、バッハの末っ子でありロンドンで長らく活躍したクリスティアン・バッハと共に1764年に始めたものです。フランツ・ヨゼフ・ハイドンの作品を初めてロンドンに紹介したのもこのコンサート・シリーズで、クリスティアン・バッハが亡くなる1782年まで開催されていました。
録音会場のイトシュタイン・ユニオン教会
さて今回、録音を行ったのはフランクフルトから北西40キロほどの場所に位置するイトシュタイン(Idstein)という人口2万5千人ほどの小さな街、そこの旧市街地にあるユニオン教会(Unionskirche)という教会でした。この教会は、外装は非常に簡素ですが、内部は天井と壁が17世紀のルーベンス派の画家による新約聖書の場面を描いた38枚の大きな油絵で覆われていて、非常に独特に雰囲気に満ちています。キャンバスに描かれた油絵を、一枚一枚木の枠に組み合わせてはめ込むように作られているため、教会としては残響が多すぎない響きが録音、演奏会には非常に適していると言えます。
ちなみにこの教会は2012〜2017年にかけて大規模な復元補修作業が行われ、それにより現在見られる様な美しい絵画や装飾が蘇りました。
この素晴らしい場所で収録した今回のアーベルの交響曲集、個人的な聴きどころをあげてみます。まずはフライブルク・バロックオーケストラのメンバーでもあるGijs Laceulleの素晴らしいナチュラル・ホルンと、コンチェルト・ケルンなどのソリストとしても来日しているスゼンネ・レーゲル(Susanne Regel)のオーボエのソロが印象的な変ロ長調の交響曲(WKO 38)の2楽章。牧歌的なホルンならではの歌と、一瞬バッハのヨハネ受難曲の"Es ist vollbracht! (成し遂げられた)" を思わせるオーボエのフレーズなど、この2つ楽器の掛け合いの美しさは特筆するものがあります。
そして今回のCDで唯一の世界初録音ではない協奏交響曲は、どことなくモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラの為の協奏交響曲を思い起こさせるパッセージが聞かれる優雅な美しさに満ちた曲です。ここではヴァイオリンのマーティン、オーボエのスザンネに加えて、この団体を通奏低音奏者として支えるチェロのケイティ・ステフェンス(Katie Stephens)が、非常に高い音域のパッセージが連続する華やかかつ技巧的なソロを華やかかつ室内的に聴かせます。ベルリンでこの曲を献呈されたフリードリヒ・ヴィルヘルム2世が、このチェロのソロ・パートを弾いたと言われていていますが、その事から彼が優れたチェロ奏者であったかを知る事ができると言えましょう。また近年の研究でハイドンの第2番のチェロ協奏曲の初演者とされるジェイムズ・セルヴェット(James Cervetto)が1785年にロンドンで演奏している記録も残っています。
このCDの収録曲は5曲とも1780年頃に作曲されたと思われる作品ですが、それぞれが古典派の交響曲のお手本の様な見事な構成によって書かれていて、シンプルかつ魅力的な旋律の美しさに満ちています。基本的に「急 ― 緩 ― 急」の3楽章の形式で書かれ、この時代としては決して新しいスタイルではない保守的とも言える作風ではありますが、それだからこその完成されたアーベルの交響曲のスタイルが見えてくるのです。
イトシュタイン・ユニオン教会、祭壇側からの眺め。
この空間での4日間の録音はなかなか贅沢な時間とも言えるものがありました。何度も繰り返し録りなおしを重ねるセッション録音というものは正に集中力と気力、そして体力勝負でもあるのですが、休憩時間にこの美しい教会を眺めていると少しは疲れも癒やされるものでした。何よりこんな素敵な場所で4日間も仕事ができるなんて、それだけで幸せな事でもあります。そしてこの教会のすぐ近くで偶然発見した地ビール屋さんで、仕事が終わった後に同僚と美味しいビールを飲みながら音楽談義に花を咲かせたり...。
アーベルの交響曲というマイナーなレパートリーの上に、4曲が世界初録音という今回のCDですが、1人でも多くの方々に新しい音楽に出会う愉しみを感じてくれたら嬉しく思います。
矢崎裕一(ヴィオラ)Yuichi Yazaki
東京音楽大学卒業後に渡独。マンハイム音楽大学修了。在学中よりハイデルベルク市立劇場管、後にマンハイム国民劇場管、ハーゲン市立劇場管に所属。
2005年からハイデルベルク交響楽団の団員としても活動している。現在はマンハイム国民劇場、シュトゥットガルト州立歌劇場、カールスルーエ州立劇場などに客演する傍ら、古楽器奏者としてコンチェルト・ケルン、ダス・ノイエ・オーケストラ、ラルパ・フェスタンテ、マイン・バロックオーケストラ、ノイマイヤー・コンソートなどでバロックから後期ロマン派に至るピリオド楽器演奏に取り組んでいる。シュヴェッツィンゲン音楽祭にてマンハイム楽派時代の楽器による室内楽演奏会でミドリ・ザイラーと共演。
その他にアマチュアオーケストラの指揮、指導者としても活動中。これまでにヴィオラを河合訓子、小林秀子、デトレフ・グロース、室内楽をスザンナ・ラーベンシュラーク、古楽演奏をミドリ・ザイラー、ウェルナー・ザラーの各氏に師事。
ドイツ・マンハイム在住。
Twitterアカウント→@luigiyazaki