【連載】ヴィオラ弾きのドイツ便り [Season 2 / Deutsche Orchesterlandschaft]
第4回「劇場オーケストラの仕事」
お久しぶりです、ドイツの劇場オーケストラに関する連載、久々に記事を書かせてもらいました!
現在ドイツには約140もの公立の劇場があります。そのうち常設のオーケストラ、合唱、歌手のアンサンブルを持ちオペラを上演するのは80程。そのオペラを上演する劇場は大きく2つに分類されます。1つ目は、1シーズンの上演プログラムの大半を新制作の舞台で構成する劇場、それに前のシーズンに上演された1、2演目を再演する場合もあります。もう1つは新演出の演目を柱にしながら、それ以外の何シーズンも上演されてきたレパートリー演目を多く上演(再演)する、いわゆる「レパートリー・システム」という形態をとる劇場です。どちらも劇場の規模により演目数は変わってきます。後者のレパートリー・システムは自ずと演目、公演数共に多くなるので、歌手やローテーション制で仕事をするオーケストラの団員も多く必要となり、また舞台装置の保管場所も大きくなるので、ある程度規模の大きな劇場に限られてきます。ベルリン、ミュンヘン、ドレスデン、ハンブルク、シュトゥットガルトなどの有名どころはレパートリー・システムです。
マンハイム国民劇場、パルジファルのカーテンコール
私がマンハイムの音大時代に研修員を務め、それから現在に至るまで頻繁に弾かせてもらっているマンハイム国民劇場(Nationaltheater Mannheim) は、名だたる有名劇場に比べて規模は小さいもののドイツでもトップクラスの演目数を上演する劇場として知られています。そのレパートリーの中には40年を超える古い演出もあり、ラ・ボエーム、こうもり、ヘンゼルとグレーテルなどは、今のドイツでは非常に珍しい古典的で美しい舞台が残っています。またパルジファルは、戦後マンハイムに新しい劇場がオープンした1957年から続く知る人ぞ知る有名な演出で、いわゆる『新バイロイト様式』といわれる舞台です。現在もレパートリーとして上演されているパルジファルの中で最も古い演出と言われています。
研修員として弾いていた20年近く前は、オペラだけでワーグナーの指環、そしてサロメ、エレクトラなど大規模な演目が目白押しで年間30演目以上、多い時には1ヶ月の間に10演目近くがプログラムに並ぶ事もあり、次から次へと新しい曲の譜読みに追われる日々でした。近年はその頃に比べれば演目数は少なくなりましたが、それでもシーズン中に多くの演目が上演されていますが、これはレパートリー・システムならではの魅力です。ただ現在、マンハイムの劇場の建物が長期にわたる大改装工事中のため仮の劇場での公演を行なっているので、通常よりはるかに公演数は少なくなっています。2028/29のシーズンに再オープンする予定ですが、さてどうなるか。
マンハイム国民劇場(Nationaltheater Mannheim)は、日本で「国立」と表記されることがありますがこれは完全な誤訳で、マンハイム市によって運営されている市立劇場です。ドイツ語表記の"National"は「国」を指す言葉ではなく、18世紀後半のシラーの時代のドイツ語による劇を行う劇場として作られた事を意味し、ドイツ語を話す人、民族などを指します。
マンハイム国民劇場の改修工事中の仮設の公演会場"OPAL"ピット、舞台は元の劇場と同じ大きさ
オペラの新演出上演となると、その準備は非常に大掛かりなものとなります。劇場専属のピアノ伴奏者であるコレペティトーアとの歌手、合唱の音楽的な舞台での演技と、長期にわたって音楽と舞台の両面での数多くのリハーサルを重ねていきます。それに比べてオーケストラのリハーサルはかなり遅く始まります。まずは1コマ2時間半のオーケストラのみの練習が(演目の長さなどによって変わってきますが)5回前後、その後に演技なしの歌手、合唱との合わせが2、3回あり、その後ピットに入っての舞台付きの稽古が少ない場合で5回前後(基本的に3時間)。そしてハウプト・プローベ(HP)、ゲネラル・プローべ(GP)があり初日であるプルミエを迎えます。しかし再演の場合は、オーケストラのリハーサルは1回の通し稽古しかない場合もあります。
新しい演目でも再演でも、オペラ、バレエの公演は一旦その演目の上演が始まると、例え指揮者、歌手などが変わっても通常そのシーズン中にオケのリハーサルは行われません。その為、シーズンの途中から契約が始まった団員や、ちょうどリハーサル期間に病気などで休んでいた場合は、それが全く初めて弾く演目でもリハーサルなしで本番を弾くかなければいけない事も日常茶飯事です。公演に欠員が出た時のエキストラも、もちろんリハーサルなしで弾く事になります。私も初めて弾いたのが公演だったという演目はいくつもあり、中には何度も弾いてはいるものの今まで一度もリハーサルをした事がない演目も幾つもあります。この様な事を何度も経験していくと、初見能力というものは否応なしに鍛えられるものです。そして自分の場合、日本の音大時代からとあらゆる曲、録音を聴きまくってきた事がすごく役に立っていると感じます。
劇場で使用される古い譜面で見かける(非公式)演奏記録、カールスルーエのラ・ボエーム
劇場のオーケストラは、小さなオーケストラでほとんどの公演で全員が弾かなければいけないところ、小編成の現代音楽などの特別な演目で奏者が固定のプロダクションなど以外では、基本的に仕事のコマごとに違うメンバーが並ぶ、いわゆるローテーション制となっています。例えば12人のヴィオラ奏者の団員がいるオーケストラで、ピットの中では8人の編成で弾く演目の場合4人はお休み、4人しか出番のない演目では8人がお休みになります。このローテーションは各グループにいる仕事の割り振りを決める係が、団員の希望を聴きながら全員の仕事量になる様に、そしてリハーサルの数がなるべく偏らないように出番を決めていきます。また病欠などで欠員の出た場合は休みの団員が代役として弾く事になりますが、その代役を引き受けなければいけないかどうかの条件などは、23年7月の記事で書いたTVKという業務規定によって細かく定められています。
近年、ドイツでも文化予算削減の影響で、劇場の公演数、演目数共に減っているところ多く、また指揮者がより多くのリハーサルやオーケストラの編成の固定を要求したりと、自分の経験したような状況は少なくなってきています。どんな演目でもリハーサルなしで振れてしまう、いわゆる叩き上げのオペラ職人、カペルマイスター(役職名としてではなく)と呼ばれる様な人が少なくなっている事も理由かもしれません。またその様な音楽家が育つ環境も少なくなりつつなっているとも言えるでしょう。この環境は、上演の平均的なクオリティーの向上に繋がってはいると思いますが、同時にオーケストラのフレキシブルなアンサンブル能力や、少ないリハーサルでひたすら公演の回数を重ねる事によって育まれてきたその団体ならではの個性が薄まっていく事に繋がっていると感じる事もなくはありません。
シュトゥットガルト州立劇場のオーケストラ・ピット
ここでは劇場のオーケストラについて書いてきましたが、あくまでもこれは劇場という大きな組織の一部にしか過ぎません。舞台装置や衣装を製作したり、公演を様々な形で支える人、その運営などの事務業務から、チケット売り場や会場スタッフ、建物の管理する人。そしてオペラ以外のバレエや演劇といた部門、これら全てのここ働く人の常設のチームがあるからこそ、劇場が建造物ではなく生きた団体となり、その地域に根差した文化として存在意義を持つのだと思っています。
矢崎裕一(ヴィオラ)Yuichi Yazaki
東京音楽大学卒業後に渡独。マンハイム音楽大学修了。在学中よりハイデルベルク市立劇場管、後にマンハイム国民劇場管、ハーゲン市立劇場管に所属。
2005年からハイデルベルク交響楽団の団員としても活動している。現在はマンハイム国民劇場、シュトゥットガルト州立歌劇場、カールスルーエ州立劇場などに客演する傍ら、古楽器奏者としてコンチェルト・ケルン、ダス・ノイエ・オーケストラ、ラルパ・フェスタンテ、マイン・バロックオーケストラ、ノイマイヤー・コンソートなどでバロックから後期ロマン派に至るピリオド楽器演奏に取り組んでいる。シュヴェッツィンゲン音楽祭にてマンハイム楽派時代の楽器による室内楽演奏会でミドリ・ザイラーと共演。
その他にアマチュアオーケストラの指揮、指導者としても活動中。これまでにヴィオラを河合訓子、小林秀子、デトレフ・グロース、室内楽をスザンナ・ラーベンシュラーク、古楽演奏をミドリ・ザイラー、ウェルナー・ザラーの各氏に師事。
ドイツ・マンハイム在住。
Twitterアカウント→@luigiyazaki