なぜフルトヴェングラーはナチス政権と係りを持ったのか、なぜ死の収容所で音楽が演奏されたのか?
ドイツ国営国際公共放送(Deutsche Welle)制作のこのドキュメンタリー映像『ハーケンクロイツの下のクラシック』では、ナチス政権にとってなぜクラシック音楽が重要だったのかを、第三帝国時代の音楽文化を象徴する二人を中心に描いています。ひとりは、ナチス政権時代にはすでにして大指揮者であったヴィルヘルム・フルトヴェングラー。そしてもうひとりは、ユダヤ人として強制収容所に送られるも、音楽によって生き延びることができたチェロ奏者アニタ・ラスカー=ウォルフィッシュです。さらにドキュメンタリーではダニエル・バレンボイム、クリスティアン・ティーレマンといった現在活躍する音楽家や、フルトヴェングラーの子供たちなどのインタビューも収録。苦悩に満ちた歴史とその背景を克明に記録しています。
ドキュメンタリーの主人公の一人フルトヴェングラー。1942年4月、戦況の悪化のなか、国民統合の象徴として総統誕生祝賀演奏会を指揮させようと画策した宣伝大臣ゲッベルスの圧力の前についに屈服、ナチス党旗を前にして指揮する羽目に陥りました。この演奏はドイツ全土にラジオ放送され、ラジオ中継音源が遺ることに(KKC-4288/ヒトラーの第九)。演奏の終楽章一部はナチスの宣伝用ニュース映画に撮られました。本映像では、それらのアーカイヴ・フィルムを復元しカラー化。歴史的ドキュメントが鮮明に映し出されます。
そしてもう一人の主人公は、ホロコースト生存者であるアニタ・ラスカー=ウォルフィッシュ。1925年にポーランドで生まれ現在94歳。1938年からナチス政権下のベルリンでチェロを学び、1942年に姉妹とともに強制労働に従事させられ、1943年にアウシュビッツ絶滅収容所に移送。両親は殺害されてしまいましたが、アニタはチェロが演奏できることから収容所を生き延びることができ、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で解放されます。彼女はドキュメンタリーの中で歴史の証人として、壮絶な収容所での生活を振り返っています。
アドルフ・ヒトラーと宣伝省大臣ヨーゼフ・ゲッベルスは、ドイツ音楽を第三帝国が世界において強力な地位にあるということを正当化し、聴衆の目をナチスの犯罪からそらすために使われました。そして戦争の士気を保つために工場でも演奏会が行われています。フルトヴェングラーとベルリン・フィルが1942年2月26日AEG工場で行った演奏会では、ヒトラーが愛好したワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲が演奏されています(KKC-5952/フルトヴェングラー帝国放送局(RRG)アーカイヴ1939-45に収録)。このように音楽は戦争遂行のために利用されていたのです。ただ音楽はプロパガンダに利用され、破壊されただけではなかったということも、アニタの証言から感じ取ることができます。アニタはこう言います。「ナチスは多くのものを破壊しました。でも音楽は?誰も破壊できません。」
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