12世紀の聖トーマス教会完成とともに創設された、聖トーマス教会少年合唱団。バッハは1723年から1750年まで、この教会のトーマスカントル(音楽監督)を務めていました。その伝統は現在も引き継がれ、現在は第18代目のトーマスカントルとしてアンドレアス・ライズがその任に就いています。バッハが活躍していた18世紀当時、ドイツの音楽家にとってはこの「トーマスカントル」の地位は名誉ある重要な仕事であり、1722年にヨハン・クーナウが死去すると、後任として多くの候補者が現れました。市の評議会が第1候補として名前をあげたのは、当時ハンブルクの5つの主要教会の音楽監督を務めていたテレマンでした。しかし待遇面で折り合いがつかず断念。次にダルムシュタットの宮廷楽長で、クーナウの弟子であったグラウプナーを当たったものの、雇い主のヘッセン公が辞任を許可せずまたもや断念。ライプツィヒ市は最終的にバッハを選ばざるを得なくなり、1723年バッハはトーマスカントルに就任し、1750年に亡くなるまでその任を務めあげました。
本盤は、バッハがカントル採用試験の際に提出したカンタータ23番や、初録音のグラウプナーのカンタータ「主を讃えよ、すべての異邦人よ」、そしてテレマンの未出版のカンタータ「Ich muß auf den Bergen weinen und heulen」など、聴き手が審査員になったつもりで、この歴史的なこの任命を巡る争いを聴くことができます。演奏は気鋭の歌手4人による声楽アンサンブルÆlbgutと、若きバロック・アンサンブル、カペラ・イェネンシスの初共演です。