1989年9月22日、四国の宇和島で開かれたエリック・ハイドシェックのコンサートは録音され、「宇和島ライヴ」としてベスト・セラーを記録した。それもその筈、当日、気力充実の彼は鬼神もこれを避く! といいたいようなベートーヴェンの「テンペスト」と、自在な遊び心が名人芸にまで高まったモーツァルトの「K332」という2曲の凄演をCDに刻みこんだからである。
しかし、間もなく発売会社のテイチクがクラシックから撤退したため長らく廃盤の憂き目に会い、求めそこなったファンの垂涎の的となっていたのだ。このベスト・セラーに気を良くしたテイチクは、91年と94年にもつづけて宇和島ライヴ録音を行い、全4枚のCDが完成したのだが、もちろん、すべて手に入れることは不可能だった。
06年の末に、わがキングインターナショナルが権利を買い取り、一挙に発売したところ、2万枚を超える大ベスト・セラーになった。同じCDが再発のときもベスト・セラーを記録することなど、それがクラシックだけに信じられない。
その第1回の宇和島ライヴが昨夜(07年3月2日)、東京の浜離宮朝日ホールで再現されたのだ。あの、「K332」と「テンペスト」が! ハイドシェックはすでに70歳、50代に入ったばかりの頃の演奏とは当然違った。89年の凄演とは別の、でも枯れた、とか円熟した、とかいうのとも違うエリック独自の世界が展開されたのである。
アルゲリッチ、チョン・キョンファなど、天才肌の演奏家はデビューのときから凄く、晩成はしない。変化はするが円熟はしない。そこが朝比奈隆、ギュンター・ヴァントなど、若い頃は二流、三流、最晩年にやっと超一流という大器晩成型との大きな違いである。
ハイドシェックの「テンペスト」にはすでに猛烈な驀進はなかった。しかし、表現の核となる部分は健在で、他のピアニストとは一味も二味も違う個性的な表情が充満していた。聴衆は十二分に満足したのではあるまいか。とくに一階客席の前半分には熱烈なエリック・ファンが陣取り、立上がってブラヴォーを連発していた。
「K332」も同じで、フィナーレに昔日の向う見ずな突進はなかったが、ぼくは第1楽章に堪能した。とくに第2主題で、左手の伴奏音型から特定の音を抜き出し、テーマの対旋律にしてしまったり、やはり左手で時折見せるゴムのような打鍵はコルトーゆずりの必殺技だ。
残念だったのはスタインウェイの音色。調律師のせいかも知れないが、金ピカの明るい音で、とにかく鳴りすぎる。モーツァルトの時代はいわゆるフォルテピアノが使われていたが、そういう渋さは古典派の音楽である以上、当然必要だ。
何も古楽器を使えというのではない。あんなものを弾いて喜んでいるのはオタクだけだが、当夜のスタインウェイは明らかに行きすぎ。あれは大オーケストラに負けないでチャイコフスキーのコンチェルトを弾くための楽器であり、調律である。小ホールの浜離宮用ではない。したがってハイドシェックのモーツァルト、ベートーヴェンにはピアニッシモがなかった。ピアニッシモがないと深みが出ない。もっとも、ハイドシェックは本来が遊びの人。愉悦的な作品、凄絶な作品には向いても、しみじみと感動の涙を誘うタイプではない。
とはいえ、もっと大きなホール、あるいは違う楽器だったら、結果も異なるものになっていたであろう。
彼はこの3月2日の東京公演のあと、6日には大阪公演がある。ホールは800席のいずみホールで、500席の浜離宮よりは条件が良いし、楽器もスタインウェイながら、東京のものとは異る(但し、調律師は同じだとのこと。)ピアノの音質には定評があるホールだけに、むしろ大阪のファンの方が得をするかも知れない。
大阪公演後、エリックは一度帰国し、5月に再び来日して、今度は日フィル定期に出演する。
曲はベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第2番」。第1番とともに、ことによるとモーツァルト以上に彼にぴったりの音楽であり、ホールもオペラシティと申し分ない。今から楽しみで胸がわくわくしている。今後の願いはラヴェルのコンチェルトだ。ぜひぜひ実現させたい。ソロの曲はドビュッシーの「子供の領分」で決まり。師コルトーが神技を示したこの曲、エリックのピアノでどうしても聴きたい。
2007年3月
unau 記