♪あー、ああーあ、やんなっちゃった、ァあーあンガあンガおどろいた♪
これは亡き父、牧野周一の弟子、牧伸二のウクレレ漫談の出だしだが、数年前に病気をしたあと、極端に出演回数が減った牧の名前は、中年以上の方以外は知らないだろう。ましてや昭和50年に他界した牧野周一の名前など、50代の方でもおぼえていて下さるかどうか。
ところが、ぼくは毎月、読売日響の機関誌『オーケストラ』に「いいたい芳題」というエッセイを連載しているが、その編集者である高本さんという方が、小学生時代にお父さんに連れられて寄席に通い、父のファンになり、楽屋でサインをもらったというのだ。それどころか父と牧伸二が昭和42年にキングレコードに録音したリレー漫談を所有、CD-Rにして送って下さった。お父さんがよほど寄席好きだったのだろう。高本さんは残念ながら志ん生、文楽には間に合わなかったが、圓生にはずいぶん接したという。こんな幸運はない。
学生時代から父のカバン持ちで年中寄席に行っていたぼくは、志ん生、文楽の全盛期の舞台を数え切れないくらい見て育った。ぼくの好みは志ん生と圓生にあったが、もちろん文楽も名人の中の名人。「心眼」など、CDで聴いても思わず涙ぐんでしまうし、DVDでは「富久」にしびれる。
志ん生は舞台に登場しただけでお客が笑うのだからすごい。十八番はなんといっても「火焔太鼓」だが、「大工調べ」の啖呵の切り方の痛快さや、「あくび指南」のとぼけた味わいをぼくはとくに好む。圓生はうまさでは斯界随一だから何でもござれだが、「鼠穴」の凄みや「居残り佐平次」の話術は、これ以上の落語芸があるとは思えない。
志ん生は残念ながらきちんとした映像が残っていないが、CDでも十二分に楽しめるし、圓生の「居残り」はビデオでもCDでもOKだ。「百年目」も名人芸。
読響の高本さんは無声映画の「のらくろ伍長」のDVDも送って下さった。モノクロで、ずいぶん昔のものにちがいないが、後年父が説明を加えた子供向けの映画である。あとから声だけ吹込んだ証拠に、父の名前が画面に出て来ない。とにかく貴重かつ稀少なDVDであり、父の30代の声が聞ける。
先年、志ん生の息子の志ん朝が60代で早世したときは、もう落語もおしまいだと思ったものだ。
事実、寄席はどこも閑古鳥が啼く有様だったが、嬉しいことにこの1、2年は落語ブームとなり、若い人たちのお客が増えて来た。とくに柳家喬太郎や立川志の輔には追っかけがいて、独演会など、発売当日に切符が売り切れてしまう。ぼくは志の輔の噂を耳にするにつけ、一度聴きたいと願っているのだが、気がついたときにはもうチケットがない。その代わり喬太郎には何回接したか分らない。なにしろ二つ目の頃から追っかけを始め、2000年3月に真打ちに昇進してからも通いつづけている。主催者に名前を登録してしまえば、チケット発売前に案内が来るので、聴こうと思えば毎回でも聴けるのだ。
去る6月13日にも銀座の博品館劇場で、柳家喬太郎、柳家喜多八、三遊亭歌武蔵の三人会を聴いたが、今回も大満足。喜多八というのはぼくの好きな噺家だ。とにかく青白い顔で、疲れ切った足どりで登場、やる気はあるんだけど体がいうことを聞かない、とかなんとか言い訳をしつつ、実に味のある芸を示す。この夜は「二十四孝」。仲入りがあり、つぎが喬太郎。得意の新作はやらず、柳家の前座噺である「初天神」。天神様のお祭りに連れて行ってもらった子供が駄々をこねるというつまらない落語なのに、喬太郎がやると爆笑の嵐。彼はまくらから爆笑の連続なので、この手の噺家は本題に入ると、とくに古典の場合、逆につまらなくなってしまうのだが、天才・喬太郎にはそれがない。「初天神」は柳家小三治のも聴いたが、この大家を大きく引き離す話芸の粋があった。
取りは歌武蔵。新作の「ダルマさんがころんだ」という噺だが、馬鹿馬鹿しくも楽しい一席で、選挙事務所に置かれた大きな赤いダルマが、両目を入れられたとたんにオーデコロンをつけて歩き出す。落ちは「あ、ダルマさんのコロンだ!」。ほんと、バカバカしさのかぎりだが、だから新作は面白いのだ。古典の渋い下げとはまるでちがう。喬太郎の新作の下げに「壁に耳あり障子に目あり」というのがあったが、メアリーという外人の女スパイが主人公。このときも笑った笑った。
最近はなぜか圓生などのビデオやDVDが店からいっせいに姿を消した。待ちに待っている志ん朝の映像もさっぱり出て来ない。たくさんあるだろうに、解せない。そんな中、この間、春風亭柳昇の「結婚式風景」「里帰り」の2席を収録したDVDを見つけて買って来た(ユニバーサルUIBZ5031)。柳昇は2003年に亡くなったが、開口一番、「わたしは春風亭柳昇といいまして、大きなことをいうようですが、今や、わが国で、春風亭柳昇といえば、わたし一人です」といって笑わせていた。このDVDでも言っているが、2席の中では「結婚式風景」がだんぜん面白い。老齢のため口跡はやや不明瞭だが、そのとぼけた顔と話しぶりは、それこそ日本でたった一人の芸。結婚式のスピーチの話題から、自分の家でいつもカミさんにどなられている話、でも最後はわたしの一言でぐっとおさえちゃう。「どうもすみません」。場内大爆笑。「だからかみさんは器量のいいのをもらってはだめですね」でまたまた大爆笑。柳昇師匠とぼけた顔で「あのねー、落語でも笑っていいところと悪いところがあるんですよ」。
落語のビデオやDVDを見ながら、大声で笑えるというものはごくごく少ないが、この「結婚式風景」はその数少ない例のひとつ。ぜひごらんのほどを。
というわけで、今月の「無能日記」、落語の話題でなんとかお茶をにごしちゃった。♪あー、ああーあ、やんなっちゃった、ァあーあンガあンガおどろいた♪
● 付記
本アルバムには亡父、牧野周一の漫談が2席収められている。リレー漫談については本文で触れたが、「音楽病院」は昭和10年代のリーガル・レコードの赤盤である。リーガル・レコードとはコロムビアが落語などを出すときに使ったレーベル名で、初めはコロムビア・レーベルで出された歌謡曲の25センチ盤と同じように、レーベル色は黒字に金文字だったが、昭和15年から両者とも赤地に変った。このリーガル盤は赤色なので、おそらく昭和15年か16年頃の録音と思われる。父は当時30代の半ば。寄席で話すときは15分ぐらいの話を6、7分に縮めてあるので、もうひとつ趣に乏しいが、それでも愛好者にとっては貴重な記録だと思う。このレコードも金沢蓄音機館で探してもらったものである。改めてお礼を申上げたい。
2007年8月記
[宇野功芳]